〈作曲家のパズルと初演時のプログラムノートについて〉
1978年2月に作曲されて早くも30年近い歴史を持っているこの組曲、今演奏しても斬新な響きのする曲であるが、同年4月30日、5月5日に行われた第27回東京六大学合唱連盟の定期演奏会で外山浩爾氏の指揮、明治大学グリークラブにより初演され、その後、凝縮カット及び改訂を一部施した版での演奏が同年12月に同グリークラブ定期演奏会で行われて以来、今でも全国の合唱団で演奏される、「よくできた」組曲である。
ところがこの曲の成り立ちについては、次のような「慌ただしいエピソード」を残している。明治グリーの新曲委嘱に際して、指揮者外山氏の紹介で、東京芸大時代の同氏の教え子であった遠藤氏に白羽の矢が当たったのだが、正月の制作会議ではその年の4月末の六連での演奏に間に合うように半ば強制的な依頼がいきなり遠藤氏にあったらしく(?)、困った遠藤氏は友人の写真家柴野氏を強引にくどき2週間で詩を書かせ、自身も2月の中旬に3週間で曲を完成させたという、なんとも「インスタント」な出来上がり方であったらしいが、大変おもしろい構成の組曲である。
初演時のプログラムノートによると、「全曲の序とコーダにあたる1・6を除いて、急緩急緩の早さです。1・6は同じ旋律を用いて、全曲を温かく包み込む役割を果たします。急の2・4では4の方がコミカルな表情を持っています。緩の3・5は叙情詩です。3は和声学で言う所の全終止を徹頭徹尾避け、終わらせない様に配慮いたしました。5はこの組曲の最大の山場をなし、随分と考えた所です。各パート飽きない様にと旋律、対旋律等を配置し、なおかつ無駄な音が無い様に……音域上の制約もあるし、……で、やりくりにパズルを解くみたいな苦労を」したということである。